虚勢論

暗闇の歩き方 意味不明の思いつき

形容詞の問題

人は強くなろうとする。あるいは、弱さを主張する。普通であるより何かであろうと、強きや弱さに跪く。

目的があって必死になってる人なら応援したくなるが、周りに合わせて頑張ってるやつは見苦しい。受験とか、就活とか。

平凡はそれだけでもう資質だ。目立たないこと、隠れて生きられる人間の幸福を認める人はなぜかあまりいない。

特に若者は、徹底的に「何か」であろうとする。

 

正直だるいからやめない???????

  

多分、形容詞の問題である。現代は形容詞に乏しい。LINEもTwitterでも、形容詞に注目してみると結構面白い。

「やばい」にどれだけの形容詞が集約されているのだろう。「危ない」「面白い」「スゴい」「夥しい」「珍しい」「新しい」「おもしろい」「(程度が)甚だしい」などなど形容詞は簡単に事実を明らかにできる素敵な言葉だ。

 

形容詞は最もシンプルに事実を述べる。「嬉しい」「楽しい」「寒い」「暑い」「でかい」「小さい」「強い」「弱い」それだけで事実がわかる。

だから、不安な人間は形容詞を求める。わかりやすい自分を。

自分を端的に「人」と呼ぶのは怖い。もちろん我々は「人」だ。だが、個人は自分を「人」で終えたくない。個性が欲しい。そんなときしっくりくる形容詞を求める。

「面白い人」と「人」では、天と地の差がある。

具体的になりたがる。みんながみんな、普通に生きたい人には迷惑な話で、普通に理由を求められたりしてしまう。普通な人になるために具体的に普通なエピソードを求める変な社会になっているのではないかね。

修飾されたい。被修飾になりたがる。承認欲求ここにあり。

 

多くの形容詞は他人依存だ。他人に面白いと言われたところで、自分の面白さを語れる人間がどれだけいるのか。他人の評価など他人の評価以外のなにものでもない。

だから強さそのものを求めることや、弱さを主張することは虚しいだけだ。

目的のために動くなら、ふさわしい形容詞は他人が勝手に付けてくれる。

自分の名前があればそれでいいのだ。主観的に平凡であることは幸福だ。

他人に理由を求めてはいけない。他人を理由にすればいい。

仲良くしたい人にはたくさんの形容詞をもって接してやればいいと思う。

言葉を選び間違えない自信があるなら……

 

 

みたいなことを就職活動したくないから思った。被就職されたい。そうすれば私の前に

〇〇勤務と「なにか」がつく。

虚勢の張り方

虚勢を張るのは案外難しい。

まぁなんとかなる。と根拠なしで自信を持てれば最強で、それが虚勢論の極致であるが、理論と現実がすべて重なることは滅多にない。経済学とかそんなんばかりだ。とっととデフレから脱却して。

現実に虚勢を張るとなると、虚勢にも裏付けがあった方がいいのだ。

虚勢を張れない人間は、見栄から脱却できていない人間だ。虚勢を張れないものは他人にどう思われるか不安がある場合が多い。

虚勢を張りたいのに張れない人向けに、今回はこのゲームを紹介しよう………

 

 

依頼人の無実を信じ、成歩堂龍一が法定で真実を解き明かす。逆転裁判である。

逆転裁判を語るうえで外せないのがハッタリである。

逆転裁判の主人公、成歩堂龍一(通称ナルホドくん)も公式サイトにて

「あふれる正義感とハッタリを武器に戦う弁護士」と紹介されているくらいだ。

 

ハッタリは虚勢と同じ性質を持つ。逆転裁判ではナルホドくんのハッタリが真実と変貌する瞬間がたまらなく爽快なのでぜひともプレイして欲しい。なんと最近ではスマートフォンのアプリでも逆転裁判がプレイできてしまうのだ。ダウンロードする他ないね。

 

ナルホドくんのハッタリはすさまじい。

例を挙げると、重大な証拠がある!と法定で「オウム」を尋問にかけるくらいである。

どうしてナルホドくんはここまで、虚勢を張ったハッタリをかませるのだろうか?

ナルホドくんの虚勢を裏付けるもの、それは「依頼人の無実を信じること」だ。

ナルホドくんは自分の正しさを証明しない。他人のために弁護するのた。誰かのために真実を見抜くのだ。実に虚勢論的だ。

半信半疑の半分の信頼が、心の中の半分の疑いを消してしまうのだ。

 

ここに、虚勢を張る際の2つのポイントが明らかになった。

  • 「他人のため」を理由にすればよい。自己より他人に多くを寄せればいい。
  •   半信半疑の半疑を捨てること。1%でも信頼するならそれを全面に出せばいい。

 

ここを抑えれば、あなたも上手に虚勢を張れるだろう。

上手な虚勢は思いやりだと捉えられる。社会は自分の目線で確立しない。社会の自分は相対的評価に晒される。その辺うまくやっちゃえばいい。忠誠な人間にみられろ!

 

 

ナルホドくん、いや逆転裁判シリーズを通して、名言がある。

「弁護士はピンチの時ほどふてぶてしく笑う」

 

そう、逆転裁判シリーズは虚勢を張る大切さを語っているのだ………

 

 意見が分かれるけど、逆転裁判4以降も面白いよ………

 

山でイノシシを狩ればいい。

人間の社会は巨大で、個人がいくら抗っても勝てない。

個人に社会を変えるパワーはない。

天才が数人集まって幾らか万人を一つの思想にまとめ上げようやく第一歩なのだ。

しかも社会は曖昧だ。明確な形がないから社会が何なのか、万人が納得する答えを出せない。学校も職場も家族も友達も都会も田舎も大まかに言えば、社会だ。たぶんね。

人が集まって生きていたら、それはもう社会だ。だから現代人は社会から逃げられない。うまく社会に生きるのは、虚勢を張るのが手っ取り早い。

ちゃっちゃと自分を偽り相手のために行動すれば、すぐに社会の一員だ。

 

生きるのには、金がいる。そのために仕事をしなくてはならない。

いや、金なんて概念のない縄文人でも、山にイノシシを狩りに行っていたはずだ。縄文人にも社会はある。縄文人にタイムスリップしたところで、私は社会から逃げられない。

イノシシ狩りがデスクワークに変わっただけで、人間の本質はたぶん変わっていない。

イノシシを狩ればいいのである。要するに、結果だけでいいのだ。

真っ向勝負で狩っても、木の根っこにぶつかったのを捕らえても同じなのだ。

イノシシを狩っている間は社会の内側にいられる。内心などどうでもいいのだ。

社会なんて寄生するほうが賢い。仕事をしているのだから、泥棒でもない。

イノシシ狩りが楽しいなら、社会は天国だ。職探しは大事だね!

ただ、狩りが辛いとき、虚勢を張ればいい。イノシシを狩れば村落のみんなが喜ぶから、嫌だけどやる。それでも辛いなら、幸い今は現代なので、私生活に逃げて、社会はなあなあで生きてはいかが?

社会の中では歯車でも仕方のないだろう。組織と人間みたいな話はどこにでもある。

「社会が悪い」は難しい問題で誰も証明できないだろう。社会なんて曖昧だ。

社会で「こいつが悪い!」みたいな明確な敵はいない。下手したら全員が敵である。

社会を相手にするのは効率が悪いのだ。社会にはおとなしく付き合うのがいい。

内心でバカにしていてもきっと誰も気づかないし、傷つかない。

社会に縋り付くのはやめて、虚勢を持って、社会を利用してやるメンタルが要る。

私生活は自由だ。社会は不自由だ。不自由に命を捧げるなんて非効率だよ。

死ぬくらいなら、虚勢を張って、社会を騙せ! 

社会について考えるとき、私の頭に浮かぶ本。

砂を掘ればいい。社会なんてそんなものだ。

見栄と虚勢のたった1つの違い

人間なんだかんだ見栄を張る、とりあえずインターネットで公開されてる身長から見栄を取り除いてみたい。自称175cmという172cmは何人いるのか。まずここに一人いる。

素直になることは意外と難しい。見栄を張るなと言われても、学歴、年収、身長、体重、少しばかり大きくする。見栄を張るのは一つの人間の性なんだと思う。

「見栄を張る人間は弱い」みたいに責める人の方が見栄っ張りだと思うが、見栄とは何なのだろうか。

なぜ人は見栄を張るのだろうか。

 

答えはシンプルである。人に認められたいからだ。なぜ人に認められたい?社会に自分の居場所ができるから。なぜ居場所があればいい?不安にならないから。寂しくないから。とりあえず三回なぜといえばそれなりに理屈っぽくなる。

「スゴい!」「エラい!」「愛してる」あたりの言葉を誰もが欲しがる。

そのために人は見栄を張る。個人的にはそれで満たされるのなら見栄なんていくらでも張ればいいと思う。限度はあるけど。

見栄と虚勢は似ている。しかし、身長を平均だと偽るのは「見栄」であり、「虚勢」ではない。

見栄と虚勢のたった1つの違い、それは、他者への関心だ。

見栄も虚勢も内心の不安から逃れるために起こる。しかし見栄は相対的であり、他人からの目線がなくてはならない。

肩書きに固執するのは結局、他人から良い評価を受けて安心したいのだ。

人が集まれば集まるほど、どんどんみんな見栄を張り始める。インターネットが見栄っ張りの巣窟なのは言うまでもない。

見栄が嫌われるのは見栄っ張りが見栄っ張りを邪魔だと思うからだと個人的に思ってるからな。そして人間みんな見栄っ張りだ。

とりあえず見栄には他人が要る。孤独なら身長を偽る必要はない。

虚勢は、個人の問題である。「スゴい!」「エラい!」「愛してる」なんて他人の言葉はいらない。

鏡の前で、根拠もなく、「よし、大丈夫だ」と微笑むことが虚勢である。

そこに誰かは存在しない。世界で一人ぼっちで不安でも、虚勢を張れる。

虚勢を張って明日も頑張ろう!

 

 

 

結論

私の本当の身長は169cmだ。

あのさ、鯖読みを「嘘つき!見栄っ張り!」というよりさ、なにも言わず穏やかな目で、すべてを分かった上で微笑んでくれる世界がいいよね……

 

内陸県のイカソーメン

コンビニに用もなく入ったとき、なんとなく何も買わないのは嫌だから、

私はいつもイカソーメンを買う。スルメのやつ。乾物系はあんまり好きじゃないのに。

イカソーメンだけは大好きだ。108円で満足できる選手権があれば、常に入賞ライン前後を走っているようなイカソーメン。メロンパン選手が永遠の目標なんだろうな。コンビニにてそんな空想をする。寒さから避難した私の空想。

想像だけで唾液が溢れてくる。おつまみだけどお酒の飲めない私はイカソーメンだけを買ってしまう。何故かシールでいいのにイカソーメンはいつも一番小さい袋に入れられる。扱いに困るサイズのレジ袋がつもりゆく。生活の一部とかしたイカソーメン。

人気の品物じゃないだろうけど、どこにでもある。よくよく考えたらすごいことだ。

ココは内陸県、もちろん海がない。漁獲量は0。だけどメートル単位の間隔で置かれたコンビニには、すいすい海を泳いでいたイカが、釣られて干されて縦に薄く切られている。私は週に3~5回食べる。そもそもこのイカは日本の水域で取られたものかも分からない。調べたら多分わかるけど、そんなこと気にしたことはない。

ポリポリと一本一本イカソーメンをチマチマ食べる。それだけでなんだか幸せなんだと思う貧乏性。コンビニは奇跡なんだと思う。ありがとうイカ。

これから人生で私の餌食になるイカも、きっと今ごろ広い広い海をゆったり墨でも吐きながら漂っているのだろう。

今、私が噛んでいるコイツから、ここには存在しない海を感じる。

虚勢論は無敵の呪文を持っている

虚勢を張るなんて、ただ見栄っぱりなだけでしょ?承認欲求モンスターなんでしょ?

 世間はそんなこと言ってきます。違います。虚勢は素晴らしいのです。

あと、虚勢と見栄は違う。このことについてもおいおい話すことでしょう。

 

さて、ここからが本題である。とっとと「虚勢」から悪いイメージを拭い取ってほしい。

虚勢論の意義を語るべく、証人を用意しようその人物とは………

 

 

 

 

木之本桜ちゃんである。あぁ、笑顔がもう最高にかわいい。タイトルで気付いたあなたはとても偉い。もしいたら友達になりましょう。

 

え?知らない。そんな人は「カードキャプターさくら」の漫画とアニメと「なかよし」今すぐ購入して、さくらちゃんの魅力にどっぷりハマってから私と友達になりましょう。

 

簡単に説明すると、さくらちゃんは「太陽みたいに元気で優しく友達思いな魔法使い」である。

もっとも~っと語りたいのだが、語ると本一冊にまで及ぶため、粒々辛苦の思いで一行にまとめた。

 

さくらちゃんは魔法が使える。空も飛べるし、水や炎も出せる。

そんなさくらちゃんの無敵の呪文をしっているだろうか。

絶対だいじょうぶだよ

である。

 魔法使いでなくとも言葉は使える 、この呪文は誰でも使える。

 こんな素晴らしい言葉を「虚勢」扱いするのか!と怒る方がおられるかもしれないが、よく考えて欲しい。さくらちゃんが最初に無敵の呪文を唱えたときを………

具体的に言うとカードキャプターさくら5巻に収録されている「闇」と「光」の物語を………。アニメだとクロウカード編42話を……

 あらすじ「さくらのまっくら学芸会」

学芸会の当日。「眠れる森の美女」は順調に進んでいたが、クライマックスにさしかかったその時、突然舞台が真っ暗に! さくらはみんなを探すが、誰も見当たらない。周りは真っ暗で、さくらは不安になって泣きだしてしまうが、1人でがんばるしかない! と気をとりなおして解決を試みる。                 カードキャプターさくら公式サイトより

 さくらちゃんは、一人、暗闇に取り残されてしまう。

想像して欲しい。さくらちゃんの気持ちを。10歳の女の子の気持ちで

独り、暗闇の中、誰もいない、友達も目の前で闇に呑まれた、走っても、叫んでも、果もない、深い、深い闇。 孤独。無力。不安。絶望。

そして自分も闇に呑まれ始める…………

 

さくらちゃんは泣きそうになる。でも、涙を拭う「真っ暗闇の中友達はもっと不安だろうから…」と、自分より、周りのために。

闇が足元から自分を蝕んでくる。でも彼女は前を向く、そう私は頑張るって決めたのだから。

「だいじょうぶ、なんとかなるよ。」

「絶対だいじょうぶだよ」 

 

 

ここからは先は語るまでもない。気になるなら本編を観てください。

誰もが暗闇の中なら不安になるだろう。心が弱くなるだろう。

しかし、暗闇の問題を個人で片付けず、見えないものを思いやり、その人達のために、不安な自分の一枚外側に強い自分を貼り付ける。

さくらちゃんも不安で仕方なかったはずだ、でも彼女は絶対だいじょうぶだよと言う。

それを自分に嘘をつくといえるだろうか。

見えないもののために自分の弱さを隠すこと、それはとてつもなく美しく、強い姿だ。

虚勢を張るとはそういうことなのだ。虚勢は嘘ではないのだ。

さくらちゃんは他人が不安にならないように、辛くとも笑顔をいられる。

虚勢論はそういった人間の心の強さを証明するためにある。

 

さくらちゃんは「眠れる森の美女」の王子様だった。時間が止まった世界においても、虚勢が道を切り開くのだと暗に示しているのだろう。

凛々しいさくらちゃん超絶かわいいですわ~

 

結論である。ここまでくればもうおわかりだろう。

 

さくらちゃんは、かわいいのだ。

   

 

現在放送中のクリアカード編 楽しく観ています。さくらちゃんが無敵の呪文を唱えたとき、私は彼女の美しさと強さを感じ、目頭を押さえるにちがいない。

雑念

 

一日しか過ぎていないのに、15人の人がここに訪れたらしい。インターネットの僻地に、まだなにも生えていない空っぽ同然のこのサイトに。

 

有名なブログには、一日にココの100倍1000倍ものひとが行き交う。

私達の感覚は狂っているように思う。

私は今日出会った人間は片手で足りる。誰かの視野に入ったを含めるなら1000人くらいかもしれないけれども。

私は15人を誰も知らない。見られただけだ、現実で繋がることなどなく、奇跡的に偶然出会っても、多分お互い気づくことなく去っていくのだろう。

 

インターネットは不思議だ。ここに一つの世界がある。現実の要素を含みながら、現実と全く変わらない人が、架空の電子上データを彷徨う。どこにも行ける。こんな僻地にも、一億人の利用者がいるサイトにも、

そしてどこにもいけない。肉体は一つしかないという人間の限界を超えられないから、

目に見えない多くの人との繋がりがなんとなく実感できた。嬉しくも愛おしくも物悲しくもある。

そんなインターネットがやはり、大好きだ。